無差別殺人も合理化の時代

第2回夜空ルナのテキトーコラムです。わーわーぱちぱち。

今回のテーマは「無差別殺人」です。テキトーに書くのでテキトーに読んで。


まえがき

今回は「無差別殺人」のついて書きますが、これは特定の事件とは一切関係がありません。「無差別殺人」全体のことを書きます。

私は犯罪心理学など修めていませんし、あくまで一民間人が思うことをダラダラと書くだけです。

タイトルの「合理化」は「能率的にすること」のような意味で「正当化のために理由をつけること」の意味合いはないです。


「無差別殺人」とは何か

ここでは目的を「誰でもいいから殺す」とした殺人が無差別殺人としたいと思います。目的もなくただただたくさん人を殺すのは別のお話ということで。

 

結果として被害者を何かのグループで括れようとも、目的が「誰でもいい」ならばそれは無差別殺人でしょう。

例えば、無差別殺人と呼ばれているが児童しか殺されていない事件というのも、「誰でも」の中の児童が殺されただけなので無差別殺人でしょう。

 

第三者には目的なんて知る由もないのだから、それだと無差別殺人か否か本人しか判別できなくないか?と思うかもしれません。

しかし、この投稿は個々の実在事件について書くわけではないので、ホントに無差別殺人か否かが重要になることはないです。ですから触れません。

実在事件をピンポイントで考えるときだけホントに「誰でもよかったか」についても考えてください。


無差別殺人の原因

  • 経済的に生活が困窮
  • 社会的孤立
  • 人を殺してみたいという好奇心
  • 朝のうんこ💩のキレが悪い
  • 社会への怨恨

原因になり得る要素なんていくらでもあるので原因なんていちいち考えても無駄、と言いたいですが、それではいつまでたっても無差別殺人がなくならないので対策も含めて考える必要がありますね。

私としては「社会的孤立とそれに伴う社会への怨恨」というのが今までもこれからも無差別殺人犯を生み出す主要因だと思ってるけど、皆さんどう?

私は「社会的孤立とそれに伴う社会への怨恨」を既に自身が獲得しているので、この点は中立的立場からの発言ができないので今回は触れません。


なぜ児童が狙われやすいのか

簡単なことです。「誰でもいいから殺す」が目的なのであれば、殺しやすい人間を狙うのが合理的でしょう。皆さんも好きでしょう、合理化。

誰でもいいのにわざわざ殺しにくい相手を狙うのは非効率的ですからね。ゲームじゃないんだからわざわざ難易度が高い方を選ぶ必要はないんです。

 

ご周知の通り刃物というのは人間(他の動物でもそうだが)を斬っているとすぐに切れ味が落ちてしまいます。この点からも成人なら助かる怪我でも致命傷になってしまいやすい子供を狙った方がいいでしょう。

あとは児童のほうが接近しやすいというのも大きいと思います。個人差は大きいですが子供というのはあらゆる人間に対して警戒心が薄いですからね。これも難易度が下がる要因でしょう、仕方ないね。

 

誰でもいいからこそ手っ取り早く殺せる子供を狙うのです。卑怯だの卑劣だの目的のためなら関係ないのです。

あっ、子供を狙うのは卑怯だの言ってる人は未だに算盤を使って表計算ツールは卑怯とか言ってるんですかね?能率・効率を考えていきましょ。

 

これは余談ですが、幸福な人間への怨恨を抱いている人間ですと、子供がいることを幸福の象徴の一つとすることが多々あるので、それを破壊せんと子供を狙う場合もあるでしょう。

「誰でもいい」ではなく子供を殺すことを目的としているので無差別殺人ではないのですが、「子供なら誰でもいい」といったパターンもあるし、書いておきました。


無差別殺人犯は命の重さを知らないのか

↑みたいなことをTwitterで見たのでこれについて。

これはそれぞれの犯人によって大きく分かれるので一概には言えないでしょうが、私が思うことは一つ、「誰からも自身の命を大切に扱われなかった者が他者の命の重さなんて知る由もないでしょう」です。

少なくとも私は命の重さなど誰からも教わらなかったし、知る機会もなく生きてきたぞ。


「死にたいなら一人で死ね」について

この発言って既に無差別殺人をした人間に対して言っているのか、まだ何もしていないけど死にたいと言っているのかによって大きく変わりますよね。

前者に対しては「まぁ人殺してんだしこれくらいは言われるよな」くらいしか思いません。

後者に対しては「追い込まれた人間をより追い込むから凶行に走るんじゃん」くらいに思いました。

 

無差別殺人のニュースで心が踊るタイプの人は積極的に「死にたい」と言っている人に使っていけばいいんじゃないですかね。

正直私は「死にたい」という段階まで来てて今更この程度の言葉で変わるか?と思っています。


どうせなら反社会的勢力とか上級国民(隠語)とかをヤッてくれ

↑みたいなのをTwitterでみたのでそれについて。

上の方で書いたように私は「社会的孤立とそれに伴う社会への怨恨」が基本的な原因だと思っています。

社会ってのは圧倒的大多数の民間人で構成されてるんだから、社会への怨恨を晴らすには民間人を襲う方が目的にかなっていますね。

(追記) 難易度も民間人より高いのでわざわざ狙うのは効率の面でもデメリットしかない。


「厳罰化での犯罪抑止」について

死ねば罰を受けないので回避可能だし抑止効果は期待できないと思いますが、どうなんでしょうかね?


社会が悪いのであって実行犯は悪くない

↑みたいな犯人擁護をTwitterでみたことがあるのでそれについて。

無差別殺人犯を生み出すのは社会であっても法治国家で生きる以上殺人は「悪」でしょ。


あとがき

ここまで殴り書きを読んでくれてありがとうございます。

この投稿を書こうとしたのはTwitterで「子供を狙っている時点で『無差別』ではない」みたいなのを見てしまい、それは筋違いだなって思ったからです。

 

私は無差別殺人はこの世からなくなってほしい悲劇だと思っているのですが、世間ではそうでもないんですかね……?

私は温厚で人情深い日本の民間人様の方々から「まだ無差別殺人しないの?」と言わてるかのような扱いを受けて育ちましたが、ここらへんの国民感情は難しくてよくわかりません。

 

ここまで読んでくれたおまけとして、私個人を例として「社会に怨恨を抱く人間が社会に怨恨を抱く人間をどう思っているか」について書きますね。まぁ一個体の例なのでテキトーに読み流して。

簡単に言ってしまえばいついかなるときも恐怖を覚えています。だっていつ殺されるかわからないもん。

追い込まれた人間が幸せな人間に対して怨恨を抱く時、ホントに相手が幸せか否かなんてどうでもいいんです。幸せそうなら対象なんです。

私は幸福感を得ることが脱糞しかないような人生を歩んでいますが、私でさえ幸せそうな人間になり得てしまうことを知ってるから故の恐怖ですね。

自分は他人に恨まれるようなことはしていないってのはどの時代に生きようがしてはいけないと思います。両親がいる・1日3食とっている・太っているのは富裕の証・外見がいい・友人がいる・性別が男・性別が女・見た目が若い、何だって怨恨の理由になりますし、見ず知らずでも一瞬で怨恨の対象になることなんてザラですからね。

まぁそんなこんなで自分自身が「無差別殺人予備軍」のようになると常に自身もその対象であることに怯えて生きることになります。

そして誰も救いの手は差し伸べてくれないし、誰も信用できないし、誰にも助けを求めることができない負のループに陥ります。なんかウケますね。

 

まぁ何はともあれ無差別殺人犯が現れてから対処するのは無理があるので(特に子供の力じゃどうしようもない)、犯人が悪であるというのは前提としてもそれを生み出しているのは社会だと認め変えていかなければいつまでたっても悲劇が繰り返されることは頭の隅くらいにおいておきましょう。

 

今回はいつものブログ内容からだいぶ離れていましたが、Twitterを見ていたら「無差別殺人」なるものが話題になってたので書いてみました。

最近「誰でもいいから殺したかった」みたいな事件があったんですかね?えっ、殺人犯は何も供述しないで死んだ事件があった?無差別かどうかなどの目的も被害者との関係性も確証がない事件を「無差別殺人」とレッテル貼りする人間なんていないよね。

 

では、今回はここまでノシ


(追記)

「社会保障を見直して凶行に走る人間が生まれることを予防」みたいなのを言う人がいましたが、社会保障で孤独を救うことは無理なのでは?と私は思った。


更新履歴

  • A.D.2019/06/03 2箇所追記